1934年第2回イタリア大会 |
大会方式: | 16チームによるトーナメント戦。 延長戦でも決着がつかない場合は再試合を行なう。 |
大会結果: | 優勝 :イタリア(初) 準優勝:チェコスロバキア 3位 :ドイツ 4位 :オーストリア |
得点王(4点): | アンジェロ・スキアビオ(イタリア) オルドリッヒ・ネイェドリー(チェコスロバキア) エドモント・コーネン(ドイツ) |
総評: | スペインでは内戦が勃発、ドイツやイタリアではファシズムが台頭、ヨーロッパ全土が暗い陰に覆われていった時代。そんな重苦しい空気が漂うなか、第2回FIFAワールドカップTMがイタリアで開催された。
当時、イタリアは独裁者ムッソリーニに支配されていた。ムッソリーニはFIFAワールドカップTMをファシズムの優秀性を示す絶好の機会と考えていた。むろん、それにはイタリアの優勝が絶対にである。ムッソリーニより“優勝”という至上命令を受けたアッズーリは、アルゼンチンの主力選手3人を引き抜いて自国の代表メンバーに加えたり(現在では一度でもフル代表として公式戦でプレーした選手は他国の代表にはなれない)、審判を買収したりと、ありとあらゆる不正手段を用いた。史上最悪の大会といわれる由縁である。 この大会はディフェンディング・チャンピオンが出場していない唯一の大会でもある。前回王者のウルグアイは、地元開催のおりにヨーロッパ諸国が参加をしぶったことに対する報復として出場を拒否した。前回準優勝のアルゼンチンも、自国の有力選手をイタリアに引き抜かれたことに反発して、サブのチームで大会に臨んだ。そのためアルゼンチンは1回戦で姿を消している。 優勝候補と目されたのは、当時欧州最強と謳われたオーストリア。エースストライカーのマティアス・シンドラーは、優雅さと力強さの両方を兼ね備えた素晴らしいセンターフォワードだったという。しかし準決勝でイタリアと対戦し、審判の不正なジャッジによって、オーストリアは敗れ去った。決勝のチェコスロバキア戦にしても同様。こうしてイタリアは優勝し、ムッソリーニの願いは叶った。だが、この歪んだ勝利が讃えられることは永遠にない。 |
◆トーナメント |
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